現代の「生きた」アートを
私に根付くアイデアの源の多くは、学生時代に志していた考古学、ひいては昔の人々の表現物とその精神への関心からもたらされていると感じる。
人類の歴史の根本をなすような古い時代への興味は、当時の人々のアートに触れる数多くの機会を私に与えてくれた。
人類の歴史の根本をなすような古い時代への興味は、当時の人々のアートに触れる数多くの機会を私に与えてくれた。

制作を自らの道とする大きなきっかけとなったのは、アメリカ最古の先住民族「ホピ族」との出会いだった。
彼らのアートはまさに彼らの「生活」__その本質は単なる生存活動ではなく“心の活動”である__に根差した“生きた”ものであり、
それは、隠されていない生(なま)の精神性との濃厚な接触だった。
彼らのアートはまさに彼らの「生活」__その本質は単なる生存活動ではなく“心の活動”である__に根差した“生きた”ものであり、
それは、隠されていない生(なま)の精神性との濃厚な接触だった。
彼らの住む土地で、彼らの住む家で、彼らの在り方に直に触れられる機会に恵まれたこと。平和の民という意味を持つ「ホピ」の人々との血の通った交流は、ものを作る者としての自分の多くを形作ってくれた。
ならば、私という現象からは、いかなるものが飛び出すのか?
それぞれの作品テーマにまつわる私の精神活動は、私自身が直に体験した“生きた”感覚である。
世界の様々な思想、文化、そのアートに影響を受けた。だが、よそから借りた真似事ばかりでは、単に人を傷つける説教や、見よう見まねの形骸的なスピリチュアリティになりかねない。文化を紡ぐのは、その文化に「生きて」いる人々によってであり、私はそれに敬意を払いたい。
だからこそ、私が作品にぜひとも乗り移らせたいのは、
形骸をなぞる心地よさではなく、私という現象が味わったリアルな体験と、その静かなる高揚である。
だからこそ、私が作品にぜひとも乗り移らせたいのは、
形骸をなぞる心地よさではなく、私という現象が味わったリアルな体験と、その静かなる高揚である。
それが、私の最も取り組みたい仕事である。
故に新鉄鋼の作品は、自らの生活、自らの生きた精神性の旅なくしては成り立たない。
そうして得られた確かなテーマは、その確かさゆえにいかなる装飾も必要としない。
そうして得られた確かなテーマは、その確かさゆえにいかなる装飾も必要としない。
アートは私の“生活”の余波であり、
アートは“生活”の分け御霊である。
アートは“生活”の分け御霊である。
そのような作品を作り続けていきたい。
工房代表 Acier Muller